売り上げは倍々状態に 若き成功者へ
そんな中、元請け会社が倒産します。
          元請け会社の専務が再建する会社を共同経営することになりました。 
          しかし、共同経営の難しさから、たもとを分かつことになります。
わずか、半年ほどのことでした。
そこから、1年ほどは外部からメカ部分を仕入れマッサージチェアを製造しましたが、
          「やはりトータルメーカーにならないとダメだ!」と、
          さらに1年後には、自社開発をするようになりました。 
1966年、「稲正万能工芸社」を「中央物産」と社名変更し、下請け会社からマッサージチェアの製造、販売を行う会社として設立。
マッサージチェアメーカーとして一歩を踏み出したのです。
1968年には、敷地700坪もの大東工場を竣工させ、全国に支店・営業所を7ヵ所立ち上げ、従業員数は250名までに。
まさに高度成長期における成功者です。
わずか4畳半の貸し間で起業してから6年で700坪の工場、そして全国制覇です。
          自分で開発から、営業までこなす稲田は「自分はビジネスの天才だ!」と有頂天に。
若き成功者として、業界からも銀行からもちやほやされるのですから無理はありません。
傲慢経営からの悲劇
若き成功者の稲田は、仕事はもちろん人一倍しました。 
          そして、遊びも人一倍です。
          自分の金だから何が悪い、気づかないうちにそんな傲慢なワンマン社長になってしまっていたのです。
そんな稲田に思わぬ悲劇が起きたのは31歳の頃です。
          オイルショックによる物不足・仕入れコストの上昇。
          さらに不良債権、不渡り手形をつかまされます。
          その上、保険に入る前の第2工場が火事で全焼。
          追い討ちをかけるように、とどめは労働争議です。 
当時、従業員は300名を越えていました。
          汗水たらして働いている社員を横目に、「儲かった金は自分の金だ、仕事はしているのだから遊んで何が悪い」というような始末。
          従業員の不満が爆発するのは当然のことでした。 
 会社は内部留保で万全の「ダム経営」。
          経営は安泰だと思っていた稲田でしたが、いつのまにか「私利私欲」に走り、
          自己中心の傲慢な経営者になってしまっていたのでした。
いくら良い経営状態でも、いくら良い商品を作っていても、経営者の指針が経営そのものに
          影響することを、この時、身をもって知ったのです。
創業者 稲田二千武ヒストリー 一覧
- 1. 両親の姿から「商売」の基本を学んだ稲田二千武
 - 2. 独立心旺盛で、ビジネスの基本を体得する
 - 3. ご縁に支えられ、いよいよ独立へ
 - 4. 周囲の方々のご支援で事業拡大
 - 5.「下請け」から半年で「提案企業」へ
 - 6. 売り上げは倍々状態に 若き成功者へ
 - 7. 傲慢経営からの悲劇
 - 8. 会社の再生へ
 - 9. 誓いの血判状
 - 10. 美容と健康ブームに乗り、総合メーカーへ
 - 11. 新たな決意
 - 12. マッサージチェア専業メーカーとしての決意
 - 13. マッサージチェア専業としての飛躍
 - 14. 本当にお客様が求めているマッサージチェアは何なのか
 - 15.マッサージチェアにエンターテインメントを
 - 16.アイデアが生まれるとき、そしてこれからも挑戦は続く
 
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